Photo   昭和20年8月6日   原爆の傷跡   原爆と気象台  枕崎台風

 あの朝、私は気象台に勤務中であった。爆心から相当距離があるのだが、江波山の高台にあるので、さえぎるものがなく、強い爆風に飛ばされた。官舎が江波山の下にあったから家は無事で、市中から続々とのがれてくる被災者の救護に立ち働くことができた。
 カメラを瓦礫の町へ向けるようになったのは、その年の九月末頃から十月中頃までであった。広島もいつの日にか復興するであろうが、この悲惨な姿を写真に残して、戦争がふたたび起きないようにしなければ・・・原爆から免れた市民の犠牲者に対する義務であると思ったからである。
 広島城跡、大手町、紙屋町、八丁堀などの都心部をはじめ、比治山、段原方面にかけて、精力的に撮り歩いた。四十枚以上撮影したであろう。

撮影者:元広島地方気象台 北 勲氏 

広島原爆戦災誌より
 
    山手町(クリックで大きな画像が開きます)      鶴羽神社(クリックで大きな画像が開きます)

 
   元町付近(クリックで大きな画像が開きます)      相生橋(クリックで大きな画像が開きます)


住吉橋(クリックで大きな画像が開きます)