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江波山気象館 メールマガジン
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2006年 8月1号
メールマガジン版江波山気象館情報しおかぜ

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広島市江波山気象館から
気象に関するさまざまな情報をお届けします。
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気象台の記憶
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 今年もまもなく8月6日がやってきます。この日は、広島の気象台にとっても忘れられない日です。
 61年前の8月6日、広島市の江波山に建つ気象台ではいつものように朝礼がおこなわれ、当番の職員は各持場で観測などの業務をおこなっていました。
 
 その時、原子爆弾が投下されました。建物は、爆心地から約3.7km離れていましたが、秒速700mの凄まじい爆風が吹いたと推定されています。

 職員は爆風や熱線により、けがや大やけどを負いましたが、地震計を除く観測機器は破損を免れ、一刻も気象観測を欠測してはならないという観測精神のもと、観測は少ない人数の職員で続けられました。

 これらの事実は柳田邦男氏の「空白の天気図」という小説で克明に記されています。

 広島で気象観測がはじまったのは、1879年からです。広島区水主町(現広島市中区加古町)に設置された広島県立広島測候所が気象台のはじまりで、1892年に広島市国泰寺村(現中区千田町)へ、1935年には広島市江波町(現中区江波南)へ移転し、53年間観測を続けたのち、中区上八丁堀の合同庁舎内へ移転し、現在に至っています。

 江波山の気象台は1992年に気象台から博物館として生まれ変わり、被爆当時から保存されてきた、爆風により曲がった窓枠や、飛散しコンクリートの壁に突き刺さったまま残るガラスの破片をそのまま展示し、今もなお、被爆の証人として61年前の出来事を語り続けています。