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江波山気象館 メールマガジン
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2006年 12月2号
メールマガジン版江波山気象館情報しおかぜ

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広島市江波山気象館から
気象に関するさまざまな情報をお届けします。
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「12月8日は何の日?」
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 当たる!いや当たらない?と思いつつ、洗濯をするときやお出かけをするとき、また農業に関係のあるお仕事をされている方など、天気予報は私たちの生活にとても密着しているのではないでしょうか?

 日本で初めて天気予報が発表されたのは明治17年6月1日のことでした。朝6時の天気予報は「全国一般風ノ向キハ定リナシ天気ハ変リ易シ 但シ雨天勝チ」という内容だったそうです。
 
 この日を境に天気予報が始まったわけですが、明治17年の開始から今日まで毎日続いているというわけではないのです。実はある日突然なくなってしまったことがありました。
 昭和16年(1941)12月8日、65年前の今日、新聞やラジオから突然天気予報がなくなってしまいました。

 真珠湾攻撃とほぼ同時に気象情報が軍事機密となってしまいお天気に関する一切の情報が発表されなくなりました。
 
 その後再開になったのは終戦6日後の昭和20年(1945)8月21日のことでした。実に3年半以上もの間天気予報がなかったのです。

 天気に関する情報が一切ないと、例えば台風が近づいていることも知ることができませんし、寒気で霜が降りそうという予測を立てることもできません。文字通り死活問題です。

 今や、テレビでは気象予報士が様々な工夫をこらしたわかりやすい天気予報を行い、パソコンや携帯電話を使えばどこにいてもすぐに最新の天気予報が見ることができるそんな時代になりましが、このことも平和な時代だからこそできることなのです。

 天気予報と戦争とは関係ないように思えますが、今日、12月8日にはこのような歴史があったのです。