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江波山気象館 メールマガジン
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2008年 6月号
メールマガジン版江波山気象館情報しおかぜ

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梅雨のおはなし その2
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中国地方は梅雨の最中です。平年の中国地方の梅雨明けは7月20日ごろですので、まだまだ梅雨は続きそうです。
素朴な疑問ですが、この季節の長雨のことをなぜ「梅雨」「つゆ」と呼ぶのでしょうか?その語源を調べてみました。

まず、漢字の「梅雨」ですが、実は中国語の辞書にものっています。「梅雨」と「黴雨」。読み方(メイユーと発音するそうですが)も同じ。前者は「黄梅雨」とも書かれており、梅の実が熟すころの雨、後者はかび(黴)の生えやすいころの雨という意味になるそうです。

中国にも梅雨があるのか、と思われる方もいると思いますが、そもそも「梅雨」は「梅雨前線」によってもたらされますので、「梅雨前線」のかかる場所、つまり中国の一部(揚子江の中流〜下流にかけての地域)や台湾・韓国にもあります。(逆に前線のかからない北海道には梅雨はありません。)

唐の時代の太宗の詠んだ詠雨という漢詩に、
和氣吹緑(※)野,梅雨灑芳田。新流添舊澗,宿霧足朝煙。
雁濕行無次,花沾色更鮮。對此欣登歳,披襟弄五弦。
というものがあります。2節目に「梅雨灑芳田。」(梅雨が芳田(いい匂いの田という意味のようですから麦畑を指していると思われます。春の麦の収穫時期がちょうど6月頃になります)を潤す)と書かれており、唐の時代には、「梅雨」という漢字が使われていたようです。

さらに、1500年代終わりごろに中国の李時珍(りちじん)とう学者が書いた「本草綱目」(ほんぞうこうもく)という本草学の本(簡単に言うと植物図鑑のようなもの)に「梅雨或作黴雨,言其沾衣及物,皆生黒(※)黴也。」(梅雨・黴雨は、服や物をぬらし、皆黒かびが生える)という表記がありますので、少なくとも約400年前には「梅雨」「黴雨」という二つの漢字を使っていたようです。

どちらにせよ、中国から渡ってきた漢字と意味を(ちなみに植物の梅も中国が原産で、遣隋使(あるいは遣唐使)によって日本にもたらされたという説が有力です。)そのまま、日本の気候に当てはめたというのが正解のようです。

さて読み方ですが、江戸時代の著名な学者、貝原益軒(かいばらえきけん)も監修をつとめた「日本歳時記」(1688年)には「此の月淫雨ふるこれを梅雨「つゆ」と名づく」という表記があります。どうやら、今の季節の長雨のことを一般的に「つゆ」と呼び始めたのは江戸時代になってからのようです。

さて、この読み方としての「つゆ」がどこから来ているかということですが、「露(つゆ)」から来ているという説、 あるいは湿気でものが腐ってしまうことから 「潰ゆ(ついゆ)」から来たという説、栗の花が咲いて落ちるころ(これがちょうど今の梅雨の季節と一致します)を表す「栗花落(ついり・つゆり)」から来たという説などがあります。

貝原益軒は「大和本草」という本を編纂するほど本草学にも造詣が深く、李時珍の「本草綱目」も読んだのではないのでしょうか? もしかすると上記の3つの説はどれかが正しいのではなく、どれも正しいのかもしれませんね。

 いかがですか。語源については結局はっきりとしませんが、「梅雨」という言葉一つをとっても、気象と身近な自然現象とは密接に結びついているようです。

注:文中の(※)部分はそれぞれ旧字体の緑と黒です。