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江波山気象館 メールマガジン
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2017年 2月号
メールマガジン版江波山気象館情報しおかぜ

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日本の天気図の歴史
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 2月16日は何の日かご存知ですか?実は、1883年(明治16年)2月16日は日本で初めて天気図が作られた日、いわば「日本の天気図記念日」とも呼べる日です。今回はそんな日本の天気図の歴史をお話ししようと思います。
 1883年(明治16年)、当時の東京気象台(現在の気象庁)で初めて天気図が作成されるわけですが、それは「気象電報」の始まりでもありました。各測候所で定時に観測を行い、その観測情報が1日1回電報で知らされるようになったのです。それまでは、低気圧や台風の接近などがあった場合に測候所が臨時に観測を行い、東京気象台に通報する「非常電報(もしくは臨時電報、特発電報)」が行われていたのみでした。1日1回の気象電報によって、天気図が作成できるようになったのです。
 最初の気象電報は、当時あった全国24か所の測候所のうち、電信線が通っていた22か所から発信されました。前日の午後2時、同10時、当日6時観測の気圧、風向、風力、雲向、雲速、気温、天気と、6時における雲形と24時間雨量という情報が1回分の電文にまとめられていました。
 1883年(明治16年)2月16日の天気図が最初と書きましたが、最初の気象電報が送信された2月16日以降、2月中は天気図作製の試行期間だったため、残念ながら天気図は現存していません。同年3月1日からは午前6時の天気図が正式に発行・印刷されるようになり、今も当時の天気図が残されています。また、同年4月1日からは午後2時、同10時の天気図も追加発行されるようになりました。印刷された天気図は宮中や役所に配布され、新聞社にも提供されました。
 1884年(明治17年)5月10日からは、1日1回だった気象電報が1日3回(午前6時、午後2時、同9時)となり、天気図も同時刻の1日3回作製されるようになりました。ところが、経費削減のために、1888年(明治21年)4月には再び1日1回午後9時に天気図が作られるのみになってしまいます。また、午後9時発表では地方新聞が印刷する時間が足りないということで、1891年(明治24年)6月には午後2時の天気図を作成することになりました。
 私たちに広く天気図が知れ渡るようになったのは、1924年(大正13年)8月21日に天気図が国民新聞に掲載されたことです。それまでは一部の新聞に掲載されていたり、交番などで掲示されているものを見たりするぐらいでした。また、1939年(昭和14年)3月には東京放送局のラジオによる天気予報が始まり、気象をより身近なものとしました。
 しかし、太平洋戦争開戦の影響を受け、1941年(昭和16年)11月末日より天気図は軍事機密となります。また、同年12月8日からは気象管制が施行され、1945年(昭和20年)8月21日に気象管制が解除されるまで、気象情報を知ることができなくなったのです。同年8月22日にはラジオで、8月23日には新聞で再び天気予報が復活しました。
 テレビで天気図が見られるようになったのは、1953年(昭和28年)2月1日にテレビ放送が開始されたときからです。天気予報はテレビ放送が始まった当時から、定時ニュースの重要なニュースとして取り上げられています。テレビでは天気図を使って天気予報を説明できるため、ラジオに比べてわかりやすいという大きな利点があります。
 現在では、新聞やテレビ以外にインターネットなどでも天気図が見られます。今では身近となった天気図も、その歴史をたどると様々な時代背景が読み取れて興味深いですね。