昭和20年8月6日 原爆の傷跡 原爆と気象台 枕崎台風 Photo | |
気象台と爆心地の位置 (クリックで大きな画像が 開きます) |
気象台と爆心地の位置 当時、気象台のあった江波山は、爆心地から約3.7q 離れた位置にあり、建物は、爆風の直撃を受け、 気象台員の多くも負傷しながら、その後も一日も休む ことなく気象観測を続けました。 |
気象台員による調査報告 (クリックで大きな画像が 開きます) |
原子爆弾爆発の様子 原子爆弾が爆発したときは、よく晴れて無風状態。 空中で突然「火の玉」が爆発し、大量のマグネシウムを たいたように、まぶしく「ピカーッ」と光った。 みな、自分のすぐ近くで爆弾が爆発したように感じた。 火の玉から広がった炎は広島市をおおい、やがて、 入道雲のような白い雲が立ち上った。 さらに、街の火災によって、積乱雲が発達し、激しい 雨が降った。 とのちに、気象台員によって書かれた調査報告書に 記されています。 |
カンベル日照計 記録紙 (クリックで大きな画像が 開きます) |
カンベル日照計の記録 カンベル日照計は、中央のガラス球に太陽の光が 当たると、ガラス球がレンズの役目をしてガラス球の 後ろに置いた記録紙にこげあとを残します。 記録紙には時刻を示すめもりがあり、これによって、 日照時間がわかります。 昭和20年8月6日の朝も、カンベル日照計は気象台の 屋上で、真夏の日差しを受けていました。 原子爆弾の爆発によるきのこ雲、黒い雨の雨雲によって 太陽が覆い隠されたことが、カンベル日照計の記録紙 からわかります。 |
午後6時の天気図 (クリックで大きな画像が 開きます) |
昭和20年8月6日の天気図 昭和20年8月6日の午後6時の天気図では、広島の部分 は空白で観測結果を、東京の中央気象台に送ることがで きなかったことがうかがえます。 |
当番日誌 8月6日の当番日誌 (クリックで大きな画像が 開きます) |
8月6日の当番日誌 8時15分頃B29広島市を爆撃し、当台測器及当台付属品 破損せり、台員の半数爆風のため負傷し江波陸軍病院 にて手当し、一部は軽症のため、当台にて専修科生が 手当てせり。盛んに火事雷発生し横川方面大雨降る。 とあり、欄外には、栗山事務員(女)8月6日朝、県庁を 廻って出勤することになっていたが、原爆死せるものと 偲む。 と記され、当時の様子をうかがうことができます。 |